ANDの才能を実践する

こんにちは

神奈川大学合気道部3年の林です。

 

 

とうとう審査週間が始まりました。

各々違う気持ちで迎えた審査週間だと思います。

 

少なくとも、準備万端でいる人は居ないように思います。

 

勉強が忙しくて稽古できなかった。

バイトが忙しくて稽古できなかった。

何か別のことが忙しくて稽古できなかった。

 

言い訳をしようと思えばいくらでもできます。

しかし、言い訳するということは、言い訳ができるということは、

それぞれの側面で余力を残して生活しているということではないですか?

 

 

 

少し前に言われたことがあります。

「君の仕事の仕方を見ていると思うんだ。君は、勉強もバイトも部活も全て1/3ずつでしか頑張ってないんじゃない?そのままではいつまでたってもどれも中途半端だよきっと。」

 

 

一般的な大学生の生活を小分けにしていくと大半が『勉強・バイト・趣味』の三本柱で構築されることと思います。

人によってはもっと多くの柱から構築される人もいるかも知れません。

 

どのようであれ、みんな自分の生活を形作る多くのファクターを等しく与えられた時間の中に組み込んでいます。

例えば三本柱であるなら、1/3 + 1/3 + 1/3と言う具合にそれぞれに均等に(中途半端に)力を注ぐ人。もしくは2/3 + 1/3 + 0/3と言う人もいるかもしれません・・・

 

なかなか1 + 1 + 1という人はいないようです。

全てのことに全力投球。一切妥協しない。

そんなんじゃもたないと思いますか?そんな人いないと思いますか?

 

僕の知っている限りで、R南高校などの高校バスケット界で優秀な戦績を修めている学校には学力が非常に高いところが多いのです。もちろん例外もありますが・・・

つまり、彼らは自分のやりたいことに加え、自分の立場としてやらなくてはならないことから逃げず、常に全力投球で一切の妥協を許さないのです。

 

そんな彼らにしか見えない世界があると僕は聞いています。

確かに凡人の常識で考えたら、全てに全力投球は厳しいものを感じます。不可能なんじゃないかとさえ思ってしまいます。

しかし、彼らにはそれぞれが別個のものとしてではなく一つのものに見えるのだそうです。

全ての別々の事象にジョイントを見出しているのだそうです。

『勉強・バイト・部活』の三本柱の例に戻るのなら、バイトで得た知識や工夫・意識を勉強する上で、部活に参加する上で応用してみるなど何かしらのまるで神経節のようなものを持っているのだと言います。

 

だから1/3ずつでは見つけられないことがたくさんあるのだろうと思います。

1で取り組んだからこそ、全力投球したからこそ発見できたことがあるのだろうと思います。

 

 

僕は、後輩によく言っています。

「勉強・バイト・部活に優劣をつけるつもりはないし、つける必要もない。ただバランスを保ちながらやるのが一番だと思う。だからすべてのことに一生懸命になってほしい」と

 

 

かつていました。あとから予定がわかったとしても部活だからバイトは休んできなさいという先輩が・・・

先輩にとってはバイトごとき。バイト先のオーナーにとっては部活ごとき。

両方を天秤に掛けどちらかを選択するのはナンセンスだと僕は思います。

どちらも大切だし、どちらも一生懸命やりたい。これをANDの才能と言うそうです。

 

言い訳する前に考えてほしいです。

どちらか一方じゃないとだめなのか。

両方とる方法は選べないのかと・・・・・・