二年になるとは?

こんにちは。神奈川大学合気道部一年の窪川です。

 

 この自分の文章の入り方も「二年の窪川です。」に変わるのもそう遠くないこの頃、自分は近い将来も含めて自分の将来はどうなっていくのか不安が以前にも増してこみ上げてくるようになってきました。

 

 その不安要素は幾つかあるのですけれどもそのうちの二、三取り上げ紹介したいと思います。(不安を紹介するというのもおかしいかもしれませんが・・。)

 

 まず最初に、自分が二年に進級するということです。

二年に進級するということは自分にとって、先輩になる・自分の先を今よりも具体化する・勉学の量が増すなどと他にも色々ありますが主にこういうことを意味します。

 

 これらに対応するために自分は限られた時間の中での立ち回りを要求されるでしょうし、考えていく必要があります。例えば、先輩になるに当たって外道場を最近になってようやく考えるようになってきました。

二年次の授業日程はまだ決めていないので二年次のところはまだ何とも言いようがないのですが、少なくとも春休み中は通うつもりでいます。

 

 2つめに、現状の自分・将来に思い描く自分とのギャップの激しさです。

自分は今のままで将来思い描く将来像にたどり着くことができるのか、今やっていることは、その将来につながってくるのか・・役立つのか、自信が持てないということです。

確証が得られることは当然ないわけですから、自信の持ちようが揺らぐことはあるにはあると思います。 ただ、先ほどの「限られた時間で」という要素がその揺らぎに拍車をかけているのは確かだと感じています。そいう点で自分は時間を慎重に扱って行かないといけない・・と考えると時間が恨めしくなってきます。

 

 3つめに、大学生についてです。

僕の高校の頃の友人についてなのですが、フェイス・ブックを見ると彼らがどいうことをしてきたかを見ることができます。

 

 それを見ると、日本のあちこちへ行って様々な人と交流をしたり、自ら企画を立ち上げて社会に働きかけてみたり、研修へ行ったりと自分と比べるとよっぽど大学生らしいと思えることをしている。春休みには日本一人旅をする、お金があれば海外にも行きたい。・・・すごい・・・と思うことがしばしばあります。

 

 そもそも他人と自分を比較することが間違いなのでしょうけど友人たちの行動力には感心せずにはいられません。しかしすると、まだ高校の時のような生活をしている自分が頼りなく見えてきてしまう。

 

 ただ、その友人たちは文系であるということも事実で理系にいる友人が何をしているのか自分は知らないということもあります。これが文理の世界観の差なのでしょうか、それとも違うのでしょうか。 

 

 どちらにしろ自分の現状に変わりはないので、ひとまず自分の大学生に対するイメージを変えてみようかと思います。 そこから始まる大学生活がどうなるかはわかりませんが、現状打破につながるといいと思っています。

 

 このように不安が幾つもありまして、先行き山、山、山? よく分かりませんけども、その都度山を超えられるよう頑張ります。

 

enjoy life とでも言うのでしょうか?色々だらだらと書き続けてすみませんでした

 

こんな小心文章でも最後まで読んでくれた方々、本当にありがとうございました。

 

以上で失礼します。

 

 

 

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コメント: 3
  • #1

    アイキ健芯クラブ (木曜日, 31 1月 2013 19:56)

    窪川くん、やっとその氣になりましたか?
    春休みはどこの外道場に行く予定ですか?

    アイキ健芯クラブも待ってますよ♪

    高橋 諒

  • #2

    sextelefon (水曜日, 01 11月 2017 00:58)

    amerykany

  • #3

    sex telefon (土曜日, 04 11月 2017 01:39)

    nieanulujący