“いつか”はいつ来るのか

こんにちは

神奈川大学合気道部

4年の林です。

 

最近、一次試験、一部では二次試験も兼ねてひと段落し、結果待ちという状態ですがまだまだ安心できないこの頃です。

しかし、久しぶりにゆっくりできる時間がとれるようになったので、あることないこと、様々なことに思いを馳せ、時には妄想する暇さえできるようになりました。

 

 

僕は、以前、たぶん一昨年くらいだったと思いますが、

大学の授業が終わって教室を出たときにある学生の話が聞こえてきました。

「例えばさぁ、自分が中学生のときに理解できないことってあったじゃん。

それが高校生になったら理解できたってことなかった?

てことはだよ、今まったく理解できないことでも社会人になったら理解できるってことかなぁ~」

とのことで・・・・・

 

当時は、僕は非常にパンクな年頃でしたが、今でもその彼に対してはこう思います。

「無理だと思う・・・」

 

そう思うにもやはり根拠があるわけで、

一度できないと思うことに対して何もしないでいつかできるなんてことは絶対ないことだと思うからです。

中学高校でこういった現象があったのはある種の覚醒みたいなものがあったわけでもなければ、才が突然開花したわけでもありません。

単に同じような分野を延長して継続していただけに過ぎないと思います。

もちろん大脳が発達して可能になったことも考えられますがそれは飽くまで補助的要素でしかないはずです。

わからないことは放っておけばいつまでたってもわからないことでしかありません。

 

大学でする授業は“学問”です。中学高校の“勉強”とは違います。

より専門的でより高度です。

社会人でもその専門性を保ったまま継続することは、専門職でない限り不可能に近いことだと思います。

 

つまり意識的に継続していかないことには“わかる”“できる”ようにはならないということです。

近道もコツもないと思います。

「いつかできる」と思っているうちはそのいつかは訪れません。

 

 

一年生のみなさん

合気道は専門性を帯びていることは言わずもがな、おそらく皆さんがやってきたどんな分野の延長でもないはずです。

 

その難解さ、複雑さ、そして部活動という準公認団体とは違う重みのある人間関係の中での自分という在り方。

すべてやり続けなければ、また、関わり続けなければいつまでもわかるものではありません。

 

ぜひ、どっぷり神大合気道部に浸かってみてください。